戦略と実践

なぜ、顧客の課題を深く理解するほど、競争優位な「場」が形成されるのか

顧客の真の課題から評価基準を設計し直す、孫子に学ぶ3原則

価格競争に巻き込まれるかどうかを分けるのは、競合対策の巧拙ではなく、顧客の本当の課題をどこまで深く理解し、短期的な利便性ではなく長期的な総合メリットで解決策を設計できているかである。多くの提案が価格や機能の網羅性で比較されてしまうのは、短期的な利便性という物差しでしか評価されていないからであり、この物差しそのものを長期的な総合メリットへとずらせるかどうかが分岐点になる。本稿では、この分岐点への向き合い方を孫子の兵法における廟算・迂直の計・不戦而屈人之兵という3原則からなる「土俵設計」フレームワークとして整理し、生成AI導入という現代的な意思決定局面での適用例を通じて、競合排除が目的ではなく結果として生まれる「場」の作り方を示す。読み終える頃には、競合対策から逆算する提案づくりから、顧客の真の課題から積み上げる提案づくりへと、思考の出発点を変えられるようになる。

なぜ、顧客の課題を深く理解するほど、競争優位な「場」が形成されるのか

技術力もリソースも大きくは変わらないはずなのに、一方は毎回価格競争に巻き込まれ、もう一方は適正利益を保ったまま受注を重ねられる。この差を生んでいるのは競合への対抗策ではなく、顧客の本当の課題をどこまで深く理解し、短期的な利便性ではなく長期的な総合メリットで解決策を設計できているかにある。そして、そのことを前提とした「場」を形成できているかどうか、次第なのである。

なぜ「実力が同じ」企業の間で明暗が分かれるのか

結論から言えば、両者を分けているのは競合対策の巧拙ではなく、顧客が言葉にしている要望にとどまらず、さらに奥にある課題まで踏み込んでいるかどうかである。

多くの企業は、顧客がすでに言語化した要望、たとえば「この機能が欲しい」「この予算に収めたい」という短期的な利便性に応えようとする。しかしこの視点は誰の目にも比較しやすいため、価格や機能の網羅性で横並びに並べられ、差別化の余地は自然と小さくなる。これがコモディティ化している中での競争環境になる。本当に差がつくのは、顧客自身もまだ明確に言語化できていないことまで踏み込んで提案できるかどうかである。それは、例えば長期的な課題、顧客自身が「将来の変化にどれだけ振り回されずに済むか」まで踏み込んで提案するといったことが挙げられる。そして、この顧客の本当の課題を「自社は解決できる」「他社に解決できない、あるいは、その解決に手を出すことに魅力がない」という状態になった時に完成する。

つまり価格競争とは、実力不足の結果ではなく、顧客の課題理解を短期的な要望の範囲にとどめてしまっていることの結果だと捉え直す必要がある。

その裏にある構造は何か

この現象の裏には、短期的な利便性と長期的な総合メリットは別の物差しであり、多くの提案は短期的な利便性でしか評価されていない、という構造がある。

この構造を理解する上で手がかりになるのが、孫子の兵法である。孫子の兵法に関する解説はここでは割愛する。『孫子』の始計篇には、実際に戦う前の綿密な情報収集と計算、いわゆる廟算を尽くした者ほど勝算が高いという考え方が示されている[注1]。ビジネスにおける廟算とは、提案や見積もりを作る前に、顧客の業務プロセスや意思決定の構造そのものを理解し尽くすことに相当するという見方ができる。

さらに軍争篇では、一見遠回りに見える道のりを、結果的に最も有利な道に変える発想として迂直の計が説かれている[注1]。短期的な利便性を追いかける最短ルートは、実は遠回りであることも少なくない。逆に、長期的な総合メリットを積み上げる一見地味な設計こそが、結果として最短の勝ち筋になると言える。

「土俵設計」フレームワークで何が変わるのか

この構造を踏まえると、打ち手の起点は「競合にどう対抗するか」ではなく「顧客の真の課題をどこまで深く理解し、長期的な総合メリットで解決策を設計できるか」になる。今回、このプロセスを孫子の兵法の3つの考え方に対応させて整理してみる。

原則内容現場での問い
第1原則:廟算(びょうさん)廟算とは、戦いに臨む前の作戦会議のこと。契約や技術の話をする前に、顧客自身もまだ明確に言語化していない長期的な課題を、業務プロセスや意思決定の構造まで踏み込んで把握する。顧客が本当に困っているのは、「要望として見えるものの奥にある何かである」まで理解できているか?
第2原則:迂直の計(うちょくのけい)迂直の計とは、遠回りに見える道をあえて選び、結果として最短の道とすること。短期的な利便性ではなく、長期的な視点で総合的なメリットを評価基準の中心に据える。一見遠回りに見える設計を、結果として最も近い道に変える。今現在のペイン(痛み・課題)に対する解決策の魅力ではなく、3年後・5年後の総合的な時間の中で比較するべき評価基準を提示できているか?
第3原則:不戦而屈人之兵(戦わずして人の兵を屈す)不戦而屈人之兵とは、戦わずして勝つこと。顧客にとっての最適解を突き詰めた結果として、大企業には旨みが薄く、中小企業には模倣が難しい状態が自然に生み出される。競合排除はあくまで結果であり、目的として狙うものではない。競合を意識した対策からではなく、顧客への最適解を突き詰めた結果として、他社が自ら退くような状態になっているのか?

ここで重要なのは、この3原則には順序があるということである。廟算という土台を飛ばして、いきなり第3原則の競合排除を狙おうとすると、それは単なる小手先の駆け引きになり、長続きしない。孫子も、百戦して百勝することよりも、戦わずして相手の戦意を失わせることこそ最上だと説いているが[注1]、それは戦う前に優位な状況を作り上げて、はじめて成立するものである。

現場ではどう機能するのか

この順序は、いま生成AIの活用局面でもそのまま成り立つ。

まず廟算にあたる部分から始めると、顧客が本当に求めているのは「最先端の生成AIを使うこと」そのものではなく、事業を持続的に成長させ続けることであり、そのための手段としてのAIである。したがって、瞬間的にはAIによる効果が見込まれるとしても、長期的にみた時に事業環境の変化、AIモデルの世代交代、などによって振り回されることは本当は望んでいない。ここを見誤ると、提案は「どれだけ高度なAIを組み込めるか」という短期的な利便性に寄っていってしまう。

次に迂直の計にあたる部分では、評価基準そのものを短期的な利便性から長期的な総合メリットへシフトすること。大手ベンダーが提案しがちな自社専用のRAG(Retrieval-Augmented Generation)システムは、自社のナレッジをRAGとして蓄積して生成AIの能力向上、自社との親和性を高める方法として魅力的である。ただし、これは短期的な見方である。RAGの構築後もデータの継続的なメンテナンス、精度チューニング、社内体制の維持といった工数・コストは発生し続ける。これに対して、業務プロセスやルール、判断基準といった社内ナレッジを、例えばMarkdownのような汎用フォーマットで資産化しておく設計にした場合、一見地味で遠回りに見えるが、AIモデルが世代交代しても資産をそのまま使い続けられるし、状況の変化や新たなナレッジの蓄積の時にMarkdownによる資産を増やしたり、改善したり、することも内製化できる。これは、長期的な総合メリットを顧客にもたらす。

この長期的な総合メリットという評価基準を顧客が採用した結果として、戦わずして勝つという状態が生まれる。これが「場の形成」ということになる。大手ベンダーにとっては、身軽なMarkdown資産化の提案は事業規模として魅力が薄く、体力に見合わない。一方、体力の乏しい中小ベンダーにとっては、顧客の業務構造まで踏み込んで課題を把握し、長期的な総合メリットを設計しきる覚悟そのものが模倣困難な壁になる。競合を狙って排除したわけではなく、顧客への最適解を突き詰めた結果として、両者が自ら退いていくと言う形になった時に、最大の競争優位、差別化戦略が完成するのである。

もちろん、ここで示すのは方法論の一つであって、Markdownによる資産化が全ての場面で最良の方法ということではない。ベストプラクティスは個々に置かれている環境に変化するため、ここで認識しておくことは手段ではなく構造である。

この先、何を問い直すべきか

一方で、注意すべき点がある。廟算を怠り、目先の利益を優先し始めると、それまで機能していた不戦而屈人之兵(戦わずして勝つ)の状態は崩れる。

たとえば、長期的な総合メリットを評価基準として定着させた後、利益率を追求するあまり、自ら見積もりを引き上げれば、それまで大手ベンダーにとって「参入しても割に合わない」と映っていた案件が、一転して魅力的な高利益市場に見えるようになってしまう。防御壁が崩れた瞬間、これまで寄り付かなかった競合が参入し、顧客の評価基準を形成していた土台そのものが揺らぎ、苦しい過当競争へと落ち込んでしまう。

問い直すべきは、「今の提案は、顧客の本当の課題からではなく、競合対策から逆算していないか」ということである。競合にどう勝つかを起点にするのではなく、顧客の真の課題をどこまで深く理解し、長期的な総合メリットを設計しきれているか。そして、その結果によって、自社にとって魅力はあるが他社にとって魅力が薄い、という「場」として形成できるか。

このことを追求することが価格競争から抜け出し、かつ、その状態を守り続けることが競争優位の差別化戦略を維持することなのである。

【注】 1)孫子(作者不詳、紀元前5世紀頃)『孫子』始計篇・軍争篇・謀攻篇。日本語訳は金谷治訳注『新訂 孫子』岩波文庫、2000年などを参照。

タグ:#土俵設計#孫子の兵法#顧客理解#評価基準設計#戦略的ポジショニング#戦略#事業戦略#差別化戦略
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